<この日記は11月2日に作成しています>
昨夜は三河に戻らずに帰省した「ぞのさん」。
帰省したのには、ちょっとした訳があったのです。
それは、
父の最終出社日
だったからなのです。
父は高校を卒業後、故郷九州を離れて単身大阪に出てきました。
高校時代の父は「陸上部」に所属し、駅伝の名ランナーだったらしいです。
東京五輪の時の全国聖火ランナーの1人でもあります。
「イヒ!」で有名な会社からのスポーツ推薦入社を断り、大阪に出てきました。
大阪では「ベビー服の卸問屋」に就職。
全国各地を営業で飛び回っていました。
特に晩年は百貨店向け営業が多く、僕の幼い頃は平日が休日になっていたことも
ありました。
僕が中学に上がって間もない頃に、人生の転機が訪れます。
それは、当時の会社よりも大きな会社への転職話です。
いわゆるヘッドハンティングという奴で、転職を果たします。
「ベビー服の卸問屋」から「紳士・婦人向け小物、帽子、ベビー服の卸問屋」への
転職でした。
時はバブル経済に向けて一気に加速し、業績も急上昇。
年収もグッとあがりました。
まあ、そのおかげで僕が高校・大学ともに私学に行けたようなもんです。
(もちろん母がパート勤めしてくれていたことも大きいですが・・・)
父は一切仕事上の愚痴を家ではもらさない人でした。
僕にとってはある種超えられない憧れの存在でもあります。
そんな父が、昨年会社の業態変換の影響もあって営業の第一線を引退。
そして出荷を専門とする子会社に出向しました。
そこでも張り切って仕事をしていましたが、母が今年春に入院(現在は退院)する等
諸般の事情があって41年7ヶ月の会社生活にピリオドを打つことになりました。
定年を1年前にして・・・。
親父、ここまで育ててくれてありがとう!
親父の帰宅後は、家族で「しゃぶしゃぶ」を食べに行きました。
多分、この日の思い出は一生僕の心に残ると思います。
親父に、「一番楽しかった頃は?」と質問。
すると親父は、
「大阪に出てきた頃が何もかも新鮮で一番楽しかった。」と。
「逆に一番苦しかったことは?」と質問すると、
「ない!」と断言されてしまった・・・。
「その場が苦しいと思っても何とかなるんやよ。」ってことらしい。
俺にもう少しそのポジティブ思考があれば、こんな病にはならなかったろうに。
やっぱり親父は偉大だ!(自分の家族をほめても仕方ないが・・・)
親父はまだまだ現役バリバリの気力を持っています。
でも何かしら親父をサポートしたいなぁと思った「ぞのさん」です。
それがいつかはわからないけれど・・・。