今更ながら、大切なのは何か、はたと気付かされました。
大切の1番目:必要とされているという意識
これが無いと、張り合いが無くなる。
僕の座右の銘は
「他人から安心・尊敬・信頼される人間になること」です。あるところからの受け売りなのですが、僕の人格形成に大きく影響を受けた言葉です。
「他人から安心・尊敬・信頼される人間になること」、ってのはある意味「他人から必要とされる」ということ。
だから他人様のための用事であれば、無気力状態でも何だかんだ言いながらこなしてしまう。
昨日の「チケット」の件がまさにそう。
一方、職場に戻っての僕がこのように「必要とされているのか?」と問われると、100%ではないにしろ、どちらかと言えば「YES」なんだろうと思う。
そうなら「早く復職すればいいのでは!?」と考えるが、やはりここでもう一度失敗してしまうと、完全に信頼を失い、「不必要」の烙印を押されそうな気がする。
だから思い切って復職とはいかない。
また、前回復職を果たしたときは、その復職出来たことへの「恩義」を必要以上に感じすぎて、自分の限界を超えてまで頑張ってしまった感がある。
自分には「『釣りバカ日誌』のハマちゃんになろう!」って言い聞かせながら、どこかで一発逆転を狙ってた。
その気持ちがなくならない限り、ダメだろうと思う。
段々「一発逆転」なんてやめよう、って気持ちにはなってるけれど、「必要」と認められるにはどういう立場でいるのがいいのか、悩んでしまう。
健康体になってから考えればいいことだとわかってはいるけれど・・・。
大切の2番目:「パートナー」の存在
ここで言う「パートナー」とは、狭義では家内を指し、広義では「自分を取り巻く人々全体」を指しています。
狭義のパートナーは、改めて無くてはならない存在であると気付かされました。
今日は、主治医を訪問する気持ちになれなかった。
話し好きな僕ですが、全く人と話す気持ちになれなかったのです。
自分でもこんな気持ちになったのは初めてに近い。
でも家内が帰宅すると、会話が出来る。
家内は寝てばかりの僕を連れ出して、夕食後に片道15分はかかる「レンタル屋さん」まで一緒に散歩しようと言い出してくれた。
そして会話もしながら往復してこれた。
やはりパートナーの力は大きいと思った。
広義のパートナーは、毎週僕のことを気に掛けてくれる。
そしてサッカー観戦に連れて行ってくれたり、趣味に付き合ってくれたりと、上手に僕の気晴らしのお手伝いをしてくれる。
もちろん当人達も楽しんでいるので、その輪の中に混ぜてくれているって感覚かもしれないけれど、僕としては本当にうれしい。
一緒に遊びに行けない友人も、時折電話やメールで様子伺いをしてくれる。
非常にうれしい限りである。
以上のような大切な関係が断ち切られる「悪夢」を見ると、調子を崩す。
それはそれだけ自分が「必要とされる感覚」と「パートナー」を大切に思っているからだと思う。
もちろん、これからもこの考えを曲げることはないと思う。
大切な関係が断ち切られる「悪夢」を見ても、立ち直ることが出来るよう何らかの自分なりの解決法を見つけたい。
それが見つかったとき、初めて自分は新たな一歩を踏み出せるように思う。
長々と支離滅裂な文章で失礼しました。
今後ともよろしくお願いします。